おつかれっすー!ジュンキです!
『今の話題から未来を予測』をテーマに発信していきます。
先日、こんなツイートをしました。
小学1年生でその発想は賢いですね。経営者には必須の考え方です。この場合では命の重さをお金で例えていましたが、経営する上では常にお金の計算をしなければなりません。物は当然として、時間、行動などなど、お金に換算して損得勘定します。捨てる勇気も必要で、捨てなければ別の何かを失うことも。 https://t.co/2nBvvDk6Ag
— ジュンキ/今の話題から未来を予測 (@junkiumino) October 11, 2019
直接的なニュースではなかったのですが、鋭い感性に惹かれてツイートしました。
このツイートを深掘りしていきます。
ツイート元の内容
ツイート元はこちらになります。
【台風19号】
『それって命をかけること?』
発想の転換を小1の娘から教えられた訳で… pic.twitter.com/1anbuJwB6S— きよきよはハロウィンロス (@kiyokiyokingdom) October 10, 2019
2019年8月12日に関東を襲った台風19号の話で、この時はまだ直撃する前でした。
せっかくの3連休ということで、家族とどこかに遊びに行きたいと思い、しっかり予約をして準備万端でした。
しかし、この3連休に台風が直撃する予報となり、旅行を中止するかどうかで話し合っていました。
予約をしているため、安くないキャンセル料が発生します。
キャンセル料が発生するくらいなら、いっそ無理矢理にでも出かけようかと悩みます。
そこで、小学1年生の娘さんが言いました。
キャンセル料はいくらかかるの?◯万円?
もしそれで死んじゃったら、私たちの命は◯万円ってことだよね?
命に価値は存在する
小学1年生とは思えないほど鋭い感性です。
正直鳥肌が立ちました。
今回の場合、命の価値をお金で例えていましたが、実際そのとおりです。
もちろん、行動次第で変化するため、流動的な価値になりますが、命には価値が存在するのです。
少なくとも、お金という意味では。
もちろん、モラル的な考え方になると話が変わってきますが、今回はお金またはそれに代わるものという意味で話を進めていきます。
損得勘定は誰もが自動的に行なっている
この日本社会で生きていくには、ひとつの行動に対して損得勘定をすることになります。
というより、誰しもが個人差はあるものの自動的に損得勘定をしています。
例えば、直接的にお金が絡んでるお仕事の場合。
自分が持つ時間+肉体または知識を使って仕事をすることで、給料という形でお金を得ます。
給料の金額、仕事場までの場所、時間帯などをそれぞれ計算し、納得すればその仕事を請け負います。
なんとなくで決めているという人もいますが、突き詰めて考えるとそのなんとなくにも必ず理由がでてきます。
誰かから頼まれごとした時も同じです。
直接的にお金は絡んでいませんが、損得勘定をします。
- 自分にとって、評価や体験などの価値があるか。
- 相手をどれくらい喜ばせることができるか。
- そのためにどれくらい時間や労力を使うことになるか。
お金以外でも損得勘定における比較対象となります。
悩み方は人それぞれですが、誰もが損得勘定をしているのです。
そんな損得勘定には心理的なクセのようなものがあり、得るものより失うものに過剰に反応しやすいです。
いわゆる、もったいない精神というものです。
損得勘定における心理的なクセ
心理学的には『プロスペクト理論』と呼ばれており、損をすると非合理的であってもその行動をとってしまうということです。
経営で例えてみましょう。
本来100万円で売れる商品が50万円でしか売れず、実質50万円損をしている状態となります。
なんとか100万円の売り上げを出そうとするならば、50万円の商品を2つ売ることで100万円の売り上げを達成できます。
しかし、本来1つ売ればよかったものを2つ売らなければならなくなったということは、その商品を作る経費や労力は倍になります。
それを避けるために、本来の値段に近い相場になる頃まで待てば同じ労力で済むのですが、つい不要な労力を使ってしまうのです。
実際には、機会損失や減価償却などにより流動的な価値となるのでもっと複雑な話になりますが、労力と売り上げのどちらを優先すべきかという話です。
つまり、捨てる勇気です。
野菜農家の人が、価格暴落の影響で育った野菜ごと耕運して捨ててしまったという話がありますが、まさに損得勘定です。
時には捨てる勇気も必要になるのです。
まとめ
何か決断をしなければならないとき、現状に焦って判断する前に、一度落ち着いて損得勘定をすれば合理的な判断ができるでしょう。
今回ご紹介したツイート元の話であれば、
キャンセル料に対して命を失うリスク
という損得勘定です。
冷静になれば、命をかけるような対象ではないことは明確です。
これは経営だけでなく、私たちの生活の中にも取り入れられている考え方なのです。